昭和40年10月03日 夜の御理解



  (途中から)
 代々難儀の続く人が、神のおかげを受けるのは、井戸替えをするに八、九分かえて退屈してやめれば掃除はできぬ、それで矢張り水はにごっておる様なもので、信心も途中でやめれば、病気災難の根は切れぬ。井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛するよう、元気な心で信心せよ。といつも頂くまあ御理解ですがね。本当にあの、お互いしっかり信心をさせて頂いて、一番最後に根の切れるまで、一心にまめで繁盛するように元気な心で信心せよと。
 まめで繁盛するように、元気でしかも家が繁盛するように、一心に信心せよと、まあ教えておられます。今日夕方でした午後からでしたか、久留米の塚原さんの娘さん(千鶴子さん)ていうのが毎月参る、お月次祭の時に必ずあの、お母さんが亡くなられる時のもう遺言のようにして。これだけは続けて、おられることですから、お鏡さんは必ずお供えをされる。でそのう、ま月に一回それで、いつもだから参って来るわけなんですね。今日は何でもないのに参って来とる。
 ですがちょうど私がおりましたから、そこでいろいろお話させて頂いたんですけれども、「どんな風かね、この頃お父さんは元気でおかげ頂いとられますか」て私が訪ねらせて頂いたら。「ああもう父は本当に、あのやせ細っておりますけれども、元気で御用が出来ておる。」、歯医者さんなんです。「もうただもうただ、もうなぁんも楽しみがなさそうにしてから、もう晩酌だけが楽しみでございます。」ちいってから、言うておる。久保山先生と確かお友達ですもんね。
 それであのう、もう本当にやっぱり、その患者さんは多いらしいんですよね。所がその一番上の兄さんが、やはりそうですねもう代々なですね、子供さん方がそれで2人か亡くなっておられますが、塚原さんも亡くなられたあの病気で、やっぱり子供さんも、今(春雄?)さんが家で休んでおりますと。それから二番目の息子さんが、もうやがて三十になりましょうかね、二番目が(義文)さんちゅうのがおりますが、この人もやっぱりその病気で、それが病院に入院しておりますと。
 もう最近はもうその兄の、春雄さんっていいますが休んでおる、咳も出るのにもかかわらず、何かヤケのような気が風で、もう晩よふかしをしたり、よそに外泊をしたりして帰っては寝て、まあそのまあ悶々たる毎日を送っておるから、家の中は本当にまあ真っ暗だと、もうお父さんも、一生懸命働いて下さってるんですけれども。もう只あの晩酌の時だけが父の楽しみだという話、を聞かせてもらいおってですね。
 本当に難儀な事だなとこう思うですね。お金があるとか、立派な家に住まっておるとか、ただ繁盛しておる、繁盛その商売が繁盛しておる、というだけではいけないっていうことですね。本当にまあどうした難儀な、じゅつない事だろうかと私は思うんですが、まあ、春雄さん本当に一番長男も、歯医者さんにはなって、もう5、6年になりますでしょうか。もう本当いうなら、もうお父さんと2人で。
 お父さんはもう楽をされても良い頃なんですけれども、そんな風で息子さんが悪いもんですからね、それで私今の、例えば御理解を伝えさせて頂いたんですね。どうでもひとつあの帰らせて頂いたらお父さんに、そのあんた達がま、ま参る分はお父さんは何にも言わんというて、私は信心はせんって言われる。もちろん子供達も信心せん、ただお母さんの意思を細々ながら継いで、その千鶴子さんっていう。
 豊美達より年輩ですが、お参りをしてくるだけなんです。それもま月に一回そのお供え物を持ってお参りしてくるだけという程度なんです。どうでもこりゃ千鶴子さん、本当に一つめぐりの、本当にめぐりの深いということ、自覚に立たしてもろうて、確かに塚原の家にはそういう、いわば難儀な病気の根という物が本当に切れなければ、ならあんた達が縁についてから、縁の向こうにまで持って行かんならん。
 またはもう代々、例えばそういうことではです、ちょうど井戸替えをするのに八分目、九分目でやめておるようなもので、いつまでたっても水は濁っておるようなもんだから、こりゃ、一つ本気でお互いめぐりの、取り払いに立たせてもろうて、ね、例えばならもう生きもう死んでもよいと、例えてまあ言うならです、2人のほんなら兄さんとその、二人の病気同じような病気を致しておりますけれども。
 それをもし、もう助かる助からんじゃない、もう巡りのお取り払いを頂くために、ひとつ一心に信心させて貰うたらどうかと。そしてま根から根から、その家の巡りのお取り払いを頂いて、あとから懇々と湧いてでるようなおかげを頂く為に、おかげ頂かなければならんのじゃないだろうかねと言うて、話したんですけれども、そういうような場合ですね、元気な心で信心しなければならないのである。
 一つ元気な心で信心するというのは、常日頃は教えを頂く。日々の信心生活が楽しいという、信心でなからにゃならんと思うですね。わざわざその、けれどもそういうような、巡りの自覚に立たせてもろうて、巡りのお取り払いを頂かせてもらう。次々難儀な事が起こって来る、といったような時に、お互いが一つ元気な心で信心ができる、おかげを一つ頂かなければならない、と私は思うですね。
 元気な心で信心せよというのはそこのところに、その言葉を使うておられますね。本当にあの巡り、巡りの成長と申しますか、本当に次々と難儀な状態やら、難儀な事がおきてくると、そういう時にいよいよ私は元気を出さなきゃいけないと。そこんところをでやめたり、またはそこんところを、だらだらとした信心で続けておっただけでは、私は根は切れんと思う。これは一切のこと。
 身代のことにも同じこと、病気の事においても然りである。もう難儀という難儀、そういう難儀が続いておると、ね、いつまでたっても水は濁っておるというならば、そこで本気で一つ井戸替えが出来る信心をです。いわゆる元気な心で、ここんところを元気な心で信心しなければいけんと思うですね。元気な心で信心しなければです。それがもう子々孫々にいつまでも同じ難儀がつながって行く。
 そりゃ病気だけの事じゃありません、ね、もういわば家のせいか何ちいうですかね一つの欠陥とでも言うですか、様々ないわば難儀の元というのが、あります。そこんところの自覚に立って、いよいよ私は元気な心で信心しなければいけんと。本当に井戸は清水になるまで、下から懇々と湧いてでるようなおかげを頂けるところまで辛抱しぬかなければいけないと思いますね。
   どうぞおかげを頂かなければなりません。